不良をゼロにするのは簡単だ
品質管理の仕事は不良を減らすこと?不良品がゼロになればいい? おっと、今は不良品と呼ばずに不適合品と呼ぶんだっけ。
さて、不良率を0%にするのは実は簡単だ。何でもかんでも良品ってことにしてしまえば不良品は無くなる。
何が不良品か、なんて法律で決められてることは少ない。ほとんどは生産者や購入者、エンドユーザーが不良を勝手に定義している。
不良の定義を変えればいいだけってわけ。
そもそも製品の品質の何がダメで何がイイなんて品質管理の教本にも書いていない。
書かれているのは日本の品質管理の先生だったデミング博士の統計だ。統計的管理手法とそのための数学。これが日本の品質管理の基礎である。
戦後日本人がデミング博士から学んだこの手法は多分さほど進化していない。画期的な新しい知見は未だ出ていないと思う。
日本の品質マンセー的なテレビ番組が増えてるけど、日本の品質管理ってのはアメリカのデミング博士の功績だ。
大量生産時代には統計的管理が糞真面目な日本人にマッチしていたんだろう、QCサークルとかある意味凄い。デミング博士も驚いたことだろう。
空気読めない面倒臭がりな私には耐えられない活動かも。
話が逸れたが、真面目な日本人がデミング博士の統計的管理手法を手にして、高い品質の製品を大量生産して世界を席巻した。
それが戦後の日本だった。
しかし今やそんな時代は終わった。
世の中の多くの製品が中国や東南アジアなしでは作れない時代になった。
今の日本では、iPhoneもユニクロの服も作れないだろう。人的にも、設備の規模的にも難しい。
縫製なんて中国人の方が技術は上だと思う。日本でミシン工なんてもう絶滅危惧種だ。中国には若くて経験も豊富なミシン工がそれこそゴマンといる。
大量生産できる製品なら規模的に大きい方が有利である。
また、安く作る、というのも一種の技術だ。
中国に安く作る特殊な技術があるわけではないが、安い賃金を武器にされては、日本が敵うわけもない。
日本の製品は安くて品質が優れていたからこそ世界を席巻できたのだ。
価格で負け、品質でも差を出しにくければ勝てるわけもない。
そうこうしているうちに日本は多品種小ロットの製品ばかりになった。
「市場調査したのですが、黒、白、赤、ピンク、青、黄色、緑、オレンジ、グレーの、それぞれ大、中、小の製品を消費者は欲しがっているようです」「やはり日本人の消費者は多様だ。お客様の声に応えなければ!」かくして市場には多くの商品が溢れかえった。
それはしばらくうまくいってるかのように見えた。製造現場ではベルトコンベアのラインを捨て、セル生産方式など新しい生産手法も生まれた。
しかし、今や日本人の半数以上が使っているのが皮肉にも超大量生産されたiPhoneである。
日本はマーケティングでも負けたのだ。
アップルがなぜ高収益なのかについてはここが非常に詳しい。
昨今は、自分で図面を書いたモノが実際にどのように造られているのか知らない技術者も少なくない。設計業務がシステム化したことで、設計者はデータのやり取りだけで済ませ、現場には出向かなくなった。だが、製造現場のことを知らずして、固定費マネジメントなどできるわけがない。自分の書いた図面の工程フローを書けなければ、固定費マネジメントは不可能である。そんな技術者は、「ボスの位置をどれぐらい変えたら、汎用治具で組み立てられなくなるのか」「形状をどれぐらい複雑にしたら、500tプレス機が使えなくなって、800tプレス機になってしまうのか」といったことを想像できないだろう。
Apple社は、サプライヤーの工場を必ず徹底的に調査・観察する。どのような作業でどのような制約があるのか徹底的に洗い出す。それは、トヨタ自動車がTPS(Toyota Production System)指導と称してティア1の工程を丸裸にする手法と非常によく似ている。そして、Apple社の技術者は工程のことを熟知した上で、製品を設計するのだ。そのために、工場にある設備/治工具のラインアップや、それぞれの加工範囲(Min-Max)などをリストにして、設計者と工場が共有できるようになっている。日本の技術者は、工場や工程にそこまで興味を持っているだろうか。実は、1970~1980年代の日本の技術者は、今のApple社の技術者とそっくりのやり方をしていた。
つまり開発力でも日本は負けている。
製品の設計者が製品がどうやって作られるのか知らないのだ。
IKEAだって開発者はまずコンテナサイズから製品のノックダウンのサイズを逆算して設計すると聞く。
IKEA商品が安くて高品質なのはデザイン設計・商品制作・流通まで一貫しているからです。
先に、購入価格を決めて、その範囲内で最高の品質を作るように、デザイナーに発注します。
デザイナーは品質や機能性だけではなく流通に使用するコンテナの規格から逆算してどのサイズになるのが最も流通コストが安くなるのかまで計算しながらデザインを決定しているようです。
さて、現代日本のモノづくりを見るとかなり悲観的にならざるを得ないのだが、それでも日本が僅かながら他に勝る所があるはずだ。
例えば柔軟性はどうか。あれだけの地震が起きて、原発はトンデモないことになっているのに、東電の社長を殺害することもなく、みんな起きたことを忘れてしまった。何という柔軟性だろう。
頭の固い奴は多いが、案外に卵みたいなもので殻を破れば軟らかいのではないか。
そこに期待したい。
話を戻そう。
不良品をゼロにするのは簡単だが、そんなことは許されないだろう。
不良品をゼロにできないところで如何に致命的な不良を出さないかが品質管理の実務かなあと思っている。
品質なんて品質管理だけの仕事ではない。恐らく全社的なものだろう。
仮に開発者が歩留まりが悪くなるような設計をしてしまえば不良の発生、混入、流出を招いてしまう。
三現主義です。現場、現物、現実。
皆さん、現場に行きましょう。
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