なぜ品質は過剰なほど良くなるのか
品質に関わる仕事をしていると色々なタイプの人に出会う。
基準的な品質をクリアしているとしても、個人主観の品質をクリアしていないとして問題と言う人。
例えば、使用上や法律的、規格的な基準はクリアしていたとしても、パッケージの印刷が悪いとして、何度も作り直しになることがある。
当然パッケージの品質も消費者に魅力を訴えるポイントとなるので、ある程度のレベルを求めるのは理解できるが、虫眼鏡を使わないと写真にすら写らないレベルまでこだわる人もいる。
世間一般では、品質にそこまでこだわり、商品価値を高めることは悪いことではなく、むしろ良いこととされている。
そしてなぜ品質が過剰なほど良くなるのかは、ここに原因がある。
それは、周りの誰もが「そこまでしなくていいじゃん」と言えないからだ。
そう言ってしまうと、万が一の時に責任を取らされるのである。
多くの会社では、規格基準よりもより高い品質を自社の標準としていることだろう。
100kgの過重に耐えるのが規格基準なら、200kgで実験し、安全性を保証する、といった具体に。
仮に品質を高めることだけが素晴らしいことであり、売れる一番の要因であるなら、日本の製品は今でも世界を席巻していたことだろう。
臆病で慎重な日本人気質は品質を追求するには向いている。
ところが、なぜ劣るはずの中国や韓国の製品が、日本にまで入って来て、日本の製造業や農家を駆逐しているのか?
結局は日本の消費者ですらそこまで求めていないということではないか?
さて、中国にも所謂「新幹線」が走っている。
しかも今やその総延長距離は日本を凌いでいる。
東京・大阪間の新幹線料金は14450円、距離は552.6km。
一方、広州・武漢間の新幹線料金は約8000円(490元)、距離は1070km。
単純に計算すると、日本の方が約3.5倍高い。
中国の高速鉄道で大きな事故があったのは記憶に新しい。
一方、日本の新幹線では大きな事故があったという話は聞かない。
しかしである。中国でも毎日新幹線の事故が起きているわけではない。
何が言いたいかと言えば、10万回に1度起きる事故に遭わないために、毎回3.5倍の運賃を払うのか?ということだ。
安い方でも10万回に1度しか事故は起きないとするなら、「自分は大丈夫でしょ」と70% OFFの料金を選ぶのが人情ではないか?
経営側からしても、10万回に1度起きる事故を100万回に1度起きる事故にするため、高いコストをかけるくらいなら、保険に入るか、都度賠償した方がローコストなんじゃないか。
顧客が欲しているのは完璧な製品ではなく、信頼できる製品なのだ。
(統計学を拓いた異才たち P.366)
6σを目指すも結構だが、世の中は4σくらいで充分なんですよ。
6σのクレーマーのために、4σの消費者が犠牲になるのは如何なものか。
高い品質を作れるのも技術だが、低価格の製品を作れるのも技術だってことを忘れてはいけない。
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